学童クラブの子どもたち

2012.12.24.Mon
2012年12月24日

ペコちやんに抱きつく小女クリスマス     コウコ

学童クラブの臨時職員として約1年間勤務したことがありました。
春夏秋冬、折に触れて子どもたちの笑顔や情景が浮かびます。
4月からの勤務でしたので、新1年生と同じように
期待と不安で胸がいっぱいでした。

             ***

初めて校庭に出た時に、A君(1年生男子)がしゃがんで
「アリくん!君に校庭はひろすぎるよ」と呼びかけたのです。
A君の発想に準じて、私も1句
<グランドの広さは知らず蟻走る  コウコ>と口ずさみました。

そのA君がクラスメイトと喧嘩して、
「あーあ、ぼく人間なんかに生まれてくるんじゃなかった」
と真顔で嘆いた時は、咄嗟に返す言葉が見つかりませんでした。

A君は感受性が強く、ビデオ鑑賞会のアニメーション
「モンスターズ・インク」を観ながら泣いていました。
同じ幼稚園を出たB君が私に、
「いま、A君はなんで泣いていると思う?
感激して泣いてるんだよ」と説明すると、
「勝手に出てくるだけだよ」と言って涙を拭っていました。

            ***

B君(1年生)はA君の理解者ですが、誰とも仲良く
遊びます。孤立していた自閉症のC君(仲よし学級
2年生)の唯一の理解者でもあったのです。

一緒にブロック遊びをしていて
「C君はイメージ通り組み立てている時も、どんどん新しい
イメージが湧いてくるんだ。スゴイいよ!」とB君が
称えました。そこで
「C君は本当に凄いね。それに気付いたB君も凄いよ!
イメージなんて、よく知っていたね」と褒めると、
「うん、お母さんに教わったの」とのことでした。

            ***

D君(1年生)は蒸気機関車の「トーマス」が大好きで
持ち物も絵本も話題も、トーマス一辺倒です。
「まだ、トーマスなの?」「そろそろ卒業したら」などと言われ
涙をいっぱい溜めて悔しがり、目で訴えてきました。
「言われっぱなしではなく、勇気を出して言い返してみたら」と
アドバイスしました。

数日後、
「D君が大声で向かって行くよ!進化したもんだ!」と、
傍観者の2,3年生を驚かせたのでした。

            ***

ダウン症のE君(仲よし学級 1年生)は
特に思い出の深い児童です。

新しく入荷したトランプの絵柄はE君の大好きな魚の「ニモ」で、
E君はそれを数珠つなぎにして、床に1枚1枚置いて行きます。
それを見た1年の男子が「何なの?変なの」と言い、
通りがかった子は「トランプはそうやって遊ぶもんじゃないよ」
と言ったのでした。
E君はそれらに囚われることなく熱中していました。
トランプは直線から大きな曲線に変化しました。
ニモたちは海から大空へ飛翔し、上昇気流に乗って
旋回したのです。
思わず拍手をすると、満面の笑顔を見せてくれました。

E君は言葉の遅れがありますが、そのぶん人一倍敏感で、
教室の電気の消し忘れに気付き、騒がしい中でも、机上の携帯電話の
音をいち早くキャッチしました。

私が愁いに沈んでいた時も、「大丈夫?」と言わんばかりに
肩に手を当てて顔を覗き込んできました。
そして頬を軽くつついたのです。

<浮かぬ顔子につつかれて梅雨明ける  コウコ>
E君の優しさには救われました。
教室に差し込む日差しに誘われて窓を見ると、
大らかな夏空が訪れていたのでした。

            *** 

夏休みの学童クラブは、午前8時半から午後5時(~6時)
までフル稼働です。
お弁当と水筒、夏休みの学習道具、着替え、
バスタオルなど持ち物が増えました。
授業がないので全員同時スタートで、
クラブ生活は規則正しく運ばれました。

宿題、水泳、工作、外遊び(校庭、公園、児童館)
昼食作り、昼寝、おやつ、誕生日会、観劇、遠足、
パーティー(お店屋さん、ゲームコーナー)など、
長い夏休みを元気に楽しく過ごすことが出来ました。

<夏帽子親の死角で育つ子ら  コウコ>

              ***

校庭で遊ぶ子ども達は伸び伸び手足を動かし、
歓声を上げています。

雲梯はベテランの女の子たちの見せ場で、21段の梯子をリズムカルに、
1段抜き2段抜きの、往復を遣って退けました。
テナガザルや子ども忍者のようです。
<雲梯の足ひらひらと秋の空  コウコ>

ジャングルジムは大人気で終了ぎりぎりまで遊んでいました。
<ジャングルジム降りて来ぬ子ら日脚伸ぶ  コウコ>

            ***

新1年生も1年が過ぎると、
心身の成長には目を見張るものがありました。

<たんぽぽの絮吹く子らの未来かな  コウコ>

            ***

学童クラブを辞めてから、子どもたちと街の中でばったり
再会することがあります。
「僕、ランニングホームランを打ったんだよ!」
A君が近況を話してくれました。



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フラメンコの魂

2012.12.21.Fri
2012年12月21日 冬至

一病といつしか馴染み冬至粥     コウコ


先日、ねむの木学園の生徒さん達(男子5名、女子1名)が、
マイケルジャクソンのCDに合わせて踊った
パフォーマンスは感動的でした。

忘れられないもう一つの記憶に、舞踊家小松原庸子氏の恩師
エンリケ・エル・コホ氏のフラメンコがあります。

仕事上回ってきたチケツトでしたが、この機会がなかったら、
フラメンコと出会うことはなかったと思います。
1980年前後に「小松原庸子スペイン舞踊団」の
公演を続けて3回観ました。

1回目は日比谷野外音楽堂でのフェスティバルで
「真夏の夜のフラメンコ」。
著名な闘牛士を迎えて、花火や照明を駆使した
大胆で華やかな舞台でした。
観客席と一体化した臨場感には圧倒されました。

2回目は流浪の民ジプシーの、差別と迫害の受難の歴史を
舞台化した画期的な作品でした。舞踊団の総力を結集した
芸術祭参加作品だったと思います。

3回目の公演は、生涯忘れられないエンリケ・エル・コホ氏の
フラメンコです。

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舞台装置も以前のように凝らず、居酒屋を設えただけでした。
出演者も限られ、全体的にシンプルでしたが、
特別出演のエンリケ氏の存在感が絶大でした。
小松原庸子氏は最後のご挨拶で、
師匠のフラメンコを観てこの道に入ったと言われましたが、
観客にとっても衝撃的でした。

エンリコ氏は黒のスラックスと黒のセーターで登場しました。
御年70代でしょうか、背は低く小太りで、物凄いオーラです。
フラメンコ独特の激しい振りはなく、動かずとも動きを感じ
させる踊りで、想像したフラメンコとは対極的でした。
手と指の繊細な動きだけで、全身が躍動しているかのようです。
内面から滲み出てくる魂の感情表現や、
強い意志表現には感嘆しました。
なにもかも削ぎ落とし、己の心ひとつで表現した究極の
フラメンコに思えたのでした。

前半の1幕が終わってから気付いたのですが、
お歳のせいか、足が不自由なご様子でした。

第2幕は意外にも、杖をつき平服の背広姿で登場されました。
何事かと思いましたら、なんとステッキでバイオリン弾きとなり、
鉄砲撃ちとなり、馬に跨って騎手となって、
次々と繰り広げられる即興には、そのつど拍手喝采が起きました。
共演の小松原氏をステッキで叩く仕草は
師匠の愛の鞭で、会場を笑わせました。

ギタリストは男女2人で、踊り手のステップから目を離さず、
メリハリのあるリズムとメロディーを爪弾いて見事でした。

氏のフラメンコの記憶は、年を経るたびに鮮やかに蘇ります。

エンリケ・エル・コホ氏のフラメンコと
ねむの木学園の生徒さん達のダンスには、
それでもなお「人生は楽しい」と言う
大いなるメッセージが込められていたのでした。



            


やさしくね やさしくね やさしいことはつよいのよ まり子

2012.12.11.Tue
2012年12月11日

この庭の長老の蟇穴に入る     コウコ
          (ひき  冬眠に入りました)

青山通りから見える明治神宮外苑の銀杏並木は落葉となり、
歩道は一面、黄色の絨毯に覆われていました。
12月9日(日曜日)のことです。

その青山通りの「ITOCHU AOYAMA ART SQUARE」で
「ねむの木のこどもたちとまり子展」  (10/26 ~ 12/25)
~ねむの木学園創立45年を祝して~ が開催されています。

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ハンディキャップを持つ子どもたちの美術展です。

どの子も、感性あふれる個性的な絵で、
純度の高い美しい色彩に驚きました。
純粋に感じたことをそのまま表現できることの素晴らしさ。
人が最後に辿り着く究極のところを
彼らは最初から持ち合わせているかのようです。
奇跡のようであり、本物を観た思いでした。

まり子氏のガラス作品の抽象画やペンダントの色合いが美しく、
その透明感は氏そのものでした。

              ♪♪♪

一通り観終わったところで、なんと、ねむの木学園の
宮城まり子先生(車椅子)と生徒さん達が到着されました。

先生と、絵を描いた生徒さんがいらしたことで、
会場の雰囲気が一変しました。
しかもこれから、生徒さん達(男子5人、女子1人)の
ミニコンサートが始まるとのことでした。

6人はお揃いの上着です。
藍色を基調にしたパッチワークに赤が配色され、
若々しく素敵なデザインです。

               ♪
最初の歌は、
宮城まり子作詞作曲 ねむの木の詩 <テントウ虫>
澄み透ったコーラスが会場をつつみました。

コーラスの途中「ちょっと気になるの」とおっしゃり、
まり子先生が歌唱指導をなさいました。
それは学園のコーラスの授業を垣間見るようです。
何度か繰り返すうちに、歌詞とメロディーをなんとなく覚えて
しまい、心の中で一緒に口ずさんでいたのでした。

テントウ虫 テントウ虫 テントウ虫
ぼくの好きな テントウ虫

テントウ虫 テントウ虫 テントウ虫
ぼくの大事な テントウ虫
テントウ虫 テントウ虫 テントウ虫
ぼくの見つけた テントウ虫

ある日 ある朝 雨の日に
ぼくのテントウ虫 死んじゃった
ぼくの心も知らないで
ぼくの悲しみ知らないで
テントウ虫 テントウ虫 なぜ死んだ (つづく)

「約束」(宮城まり子著 東京新聞出版部)に次の文章があります。

 病気がひどくなった頃、淳之介さんが私に言いました。
 「まりちゃん、君のつくった歌の中でぼくはこの歌が
 一番好きだよ」うれしかったけど、死が近づいている・・・。
 歌詞の中の悲しさにゆきあたり、ドキッとしました。

               ♪
2曲目はモーツアルトのトルコ行進曲で、「鳥になった瞳」
まり子先生は「鳥の瞳になったらどこへでも飛んでゆけます」と。

ダバ.ダバ.ダ ダバ.ダバ.ダ・・・の出だしが楽しく、
<人は遠い昔 鳥かもしれないね>のフレーズでは
みな両手を翼にして羽ばたきました。

ふと、俳人の折笠美秋の俳句がよぎりました。
  透明な羽と心と上昇気流
  ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう

               ♪
3曲目は「きかせて ほしい」
学園に声の出ない子がいて、毎日稽古をしても
効果が出なかったそうです。
諦めかけていた頃に、波がくり返せくり返せと言っている
ように思えて、この歌を作ったのだそうです。
コーラスは全5曲でした。

               ♪
そして圧巻はマイケル・ジャクソンのCDに合わせての
ダンスで「ビリー・ジーン」と他1曲。
上着を脱ぎ黒一色になりました。肢体が不自由なことなど
忘れてしまったほど見事なパフォーマンスでした。

ダンスは最初、身体の訓練として授業に採り入れたそうです。
ひたすら努力した末の結果だったのでした。

              ♪♪♪

彼らの渾身のミニコンサートは約1時間、
何時の間にか大勢の人垣が出来ていました。

純粋な魂にふれて、目頭が熱くなりました。
涙、涙の方もいらっしゃいます。

この日、ここに居合わせて幸運でした。

              ♪♪♪


DSCN0170 (640x480)
吉行淳之介略歴 岡山市生まれ。作家エイスケ・あぐりの長男。
実妹和子は女優、理恵は詩人・作家。
1957年宮城まり子と知りあい、1960年同居。
「驟雨」で芥川賞受賞、「夕暮まで」で野間文芸賞受賞、
「暗室」で谷崎潤一郎賞受賞、「鞄の中身」で読売文学賞受賞。
1994年7月26日死去、享年70歳。