安野光雅が描いた「御所の花展」

2013.09.19.Thu
2013年9月19日 

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天皇・皇后がお住いの御所に咲く、四季折々の花の水彩画
130点 を観てきました。
安野光雅(あんの みつまさ)氏は大正15年(1926)島根県
津和野町に生まれ、画家、絵本作家、装丁家そしてエッセイストで
あります。

両陛下の本を装丁されたご縁で平成23年(2011)1月から翌年
4月まで、両陛下のお住いに植えられている草木を写生しました。

御所の庭は皇太子の頃に交配して作った蓮や、贈られた種から育て
られた草木など、両陛下の思いが込められています。

             ***

安野光雅氏の美しい水彩画に添えられた瑞々しい言葉には、心を惹
きつけられました。展覧会ではメモを取りましたので氏のコメント
はそのまま記述致します。


◎サクラのつぼみは、希望という言葉をおもわせる。今年は友人に送って
もらったレンゲを庭にまいて毎日見ている。少しだけ芽をだしたので
大丈夫だとおもうが、花を見るまでは安心できない。レンゲも希望に
似ている。
  
  
 「ヤマゴボウ」      IMG_0006 (640x429)
 ◎わたしの田舎の、青野山の山裾に咲い
 ておりました。昔から知っていたのに、
 名前は知りませんでした。植物の名前 
 は誰がいいはじめたのか、どれもいい
 名前をもっています
。 




◎田舎の城山へ上るなりリストの上で、しばらくぶりに草いきれという
言葉をおもいだした。何の草が匂うのかわからないが、草葉が暑さに
耐えているのがみんな混ざっている


 「ネムノキ」
IMG_0004 (634x422) ◎ 夜になると花を閉じてねむるので、
 ネムノキというそうです。
 木のくせに、どういう感覚があるのか、
 さわるとちゃんと閉じます






 「エンプレスミチコ」
IMG (4) (640x472)      エンプレスミチコ (250x165)
駐日イギリス大使から贈られたバラです。
(四季咲き大輪、淡いクリーム色、高い芳香性)


 「ホタルソウ」
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 「舞妃蓮(まいひれん)」 
 IMG_0003 (640x434)       舞妃蓮 (366x323)          
天皇が皇太子の頃に、交配して作った天皇家ゆかりの蓮で、御所の其処
此処に咲くそうです。


 「ユウスゲ」
IMG_0001 (640x423)  薄暗くなると明るいレモン色の花が
 開きます。「レモン色の花は、ホタル
 の光のような気がした」と安野氏は
 語ったそうです。軽井沢町から
 贈られた種を両陛下が咲かせ、
 増やされたそうです。




◎ワレモコウは葉のある時期も秋が深まると葉はどこかにいって枯れた
花だけがまだついている。そのころの惜別の感じが好きだ。吾亦紅、
「わたしもまた、若いときがあった」といえなくもない。



「ヒツジグサ」
IMG_0008 (617x423) ◎羊の刻(午後2時ごろ)に咲く
 ことからヒツジグサと呼ばれている
 のですが、それはおよその話で
 きちんと2時に咲くということでは
 ありません。小さなスイレンで紀宮
 さまのお印のお花だということです





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 「キキョウ」
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那須御用邸から持って来られ、南庭と御所正門で咲いているそうです。


カラスウリの絵にハッといました。赤い実は4個で葉は10枚。鉛筆
の下書きには、ありありと数十枚もの葉があるのに彩色されていません。
未完成のような途中で止めたような感じです。安野氏の創作の秘密を
垣間見せて頂いた気がしました。



◎「雪が深くて大変でしょうといったのはわたしの負け惜しみなのだ
が、雪はお布団です。四季を通じて働かせた草や木に雪のお布団をかけ
てねむらせているのです」とターシャ・チューダーは、いった。



安野氏がターシャ・チューダー女史の言葉を添えられたことに、深く
共感しました。四季を通して咲いた草木もやがて枯れてゆきます。
それゆえ花は美しく輝きます。庭の草木は人間が好きなように手を添
えたもので、ほんとうによく咲いてくれましたと感謝したくなります。
「雪のお布団をかけてねむらせているのです」は心に沁みました。


 「イイギリ」(部分)
IMG_0007 (632x427) ◎背の高い木で、草むらに咲く花とは
 ちがいます。赤い実はタヌキが
 好んで食べるそうです。イイギリ
 の「イイ」はたぶん「飯」の字を
 あてるのではないでしょうか。
 昔はこの木の葉でごはんを
 包んだと聞きました。



イイギリは両陛下が種から育てられた10mの木で、色のない冬に赤い
実をつけました。
フユイチゴは夏に白い花を咲かせ、冬の赤い実は野鳥のご馳走になります。
クリスマスローズは花の少ない時季、ひときわ輝きを増します。

              ***

皇居

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〒100-0001 東京都千代田区千代田1番1号


皇居の「東御苑」は時間を決めて公開されています。

宮殿は新年の一般参賀で宮殿東庭の会場まで参入出来ます。

「吹上御苑」は昭和天皇・皇后の御所であった「吹上大宮御所」と今
の天皇の御所の間にあります。「吹上御苑」の様子はテレビの放映で
何度か見ました。「できるだけ自然のままで」との昭和天皇のお言葉
通り、原生林に近い豊かな森です。

「御所」にある天皇家のプライベートのお庭は、立ち入ることが
出来ません。安野光雅氏の「御所の花展」で初めて、自然豊かな
景色をうかがい知ることが出来ました。

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             ***

「巡回
2014年1月 8日~1月20日  京都高島屋
2014年3月12日~3月31日  大阪高島屋


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恵比寿と「東京都写真美術館」

2013.08.16.Fri
2013年8月16日

恵比寿駅
   
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  恵比寿駅西口前に、この地を象徴する
 「ゑびす像」があります。
 
 
 明治の頃、サッポロビールがこの地で
 「エビスビール」を製造し、輸送用の
 「恵比寿駅」を設立したことで、地名も
 恵比寿となったそうです。

                ***


「恵比寿ガーデンプレイス」へ

昭和の終わりの頃には都市化が進み、工場の移転がありました。
跡地は再開発され、平成6年に恵比寿ガーデンプレイスが開業しました。

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ガーデンプレイス方面には「アトレ」のエスカレーターで上がり、
「東京都写真美術館」で開催の「世界報道写真展2013」へ。


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動く歩道「恵比寿スカイウォーク」で行くので、炎天下の街を歩かずに
すみます。

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動く歩道を抜けると複合施設の恵比寿ガーデンプレイスです。
施設内にはデパート、レストラン、オフィスビル、サッポロビール本社
美術館等があります。

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右手にビヤーガーデンを眺めながら東京都写真美術館へ。


                ***


「東京都写真美術館」

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167mのオフィスビル(地上40階、地下5階)
恵比寿ガーデンプレイスタワーの一角を占める「東京都写真美術館」
日本初の写真・映像専門の総合美術館として平成7年に開館しました。


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東側の外壁には3人の写真家の作品が一面に展示され、
ロベール・ドアノーの代表作「パリ市庁舎前のキス」がありました。
この日は「世界報道写真展2013」の最終日とあって、ポスターを
横目に次々と来館者が訪れていました。

                ***

「世界報道写真展2013」

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受賞作品の前には、人垣が出来るほどの混みようでした。
ほとんどが若い人たちで、熱心に見入る姿には感心しました。


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世界報道写真大賞 「スポットニュース」の部(単写真1位)
ポール・ハンセン (スウェーデン)


入ってまず目にするのが、パレスチナ自治区のガザで、イスラエルの
ミサエル攻撃により死亡した2人の子どもがモスクに運ばれる写真です。
彼らの一人ひとりの表情が、悲しく痛ましい状況を物語っています。
これが世界の紛争地域の現実だと知ると、その悲惨さに愕然としました。

テレビのニュースで紛争の映像は見ているものの、立ち止まって作品に
向き合うと 深く考えさせられます。
そして、危機感のようなものを意識の底で覚えたのでした。

先日(8/12 朝日新聞夕刊)は同じパレスチナ自治区で父親の葬儀に
両手を頬に当てて嘆き悲しむ少年の写真が載っていました。
父親が武装していなかったにもかかわらず、「治安上の脅威」として
イスラエル軍に殺害されたといいます。(ロイター)



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「演出肖像」の部 (組写真1位)
ステパン・ヴァンフレーテレン (ベルギー)


ギニアで甲状腺腫を患う、3人の子どもの主婦(30歳)。ギニア
は最も貧しい国で、国民の大半が無学文盲で治療費も払えません。
このような痛ましい写真に、何故か引き込まれるように見入って
しまいました。
憂いの表情の中にも、一途に光を求めているからでしょうか。



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「現代社会の問題」の部 (単写真)
ミカ・アルバート(アメリカ)


ケニア・ナイロビで廃品回収をしている女性です。ごみ捨て場で見つけ
たカタログ雑誌を手に一休みして「大切な時間」と言ったそうです。
人はどのような状況にあっても、人間の尊厳を失ってはならないと
教えられた思いです。



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「スポーツ・アクション」の部 (単写真1位)
ウェイ・ソン・チェン(マレーシア)


「雄牛レース」インドネシアの西スマトラで収穫シーズンの終わりに開
かれるそうです。騎手は雄牛に括りつけた道具に足を掛けて尻尾を
握ります。人気の競技だそうで、その迫力に圧倒されました。



出展は「スポットニュース」「演出肖像」「観察肖像」「日常生活」
「スポーツ・アクション」「現代社会の問題」「スポーツ・フィーチャー」
「一般ニュース」「自然」の9部門63作品です。
124カ国・5,666人のプロのカメラマンの応募があったそうです。

同展は東京都(6/8~8/4)を皮切りに、大阪府・梅田(8/6~8/15)を
経て、来月は京都府、さらに滋賀県・草津市、大分県・別府市の全国
5都市を11/17まで巡回します。


                ***


初めて見た世界報道写真展でしたが、なかでも戦争や社会問題が強烈
に心に残りました。平和ボケしていた我が身を引き締めると共に
これからの日本を憂慮しました。
昨日は終戦記念日でした。改憲には反対であり、平和憲法は絶対に
守るべきであります。平和な日本であるために真剣に考えるべきだ
と思いました。

戦争が廊下の奥に立ってゐた     渡辺白泉

                ***


帰りのスカイウォークで、妖精が舞い降りたかのような、美小女が目の
前に現れました。(横顔がお見せ出来ないのが残念です)
報道写真で飽和状態の頭の中を、小女のすずやかな風が通りすぎて
ゆきました。
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「貴婦人と一角獣展」

2013.06.26.Wed
2013年6月26日

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貴婦人と一角獣展 (フランス国立クリュニー中世美術館所蔵)
会期:2013年4月24日(水)~7月15日(月・祝)
会場:国立新美術館(東京・六本木)


                ***

国立新美術館  
2007年(平成19年)2月開館
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延床面積(47,960㎡)は日本最大で、コレクションは持たず
「ナショナルアートセンター・トウキョウ」と称しています。
「日展」その他中小の公募展や「貴婦人と一角獣展」等の企画展をする
ギャラリーです。
地上32.5m (地下1F、地上4Fの5層)  設計者:黒川紀章

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4層吹き抜けのエントランスにある「カフェ」


                ***

「貴婦人と一角獣」のタピスリー

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会場に入ると、まずタピスリー(羊毛と絹糸のつづれ織)の大きさに
驚かされました。
6面一組の連作は全長22mで、丈は4m近くもあります。
中世ヨーロッパの至宝であり最高峰とされるタピスリーは、500年
を経た現在でも色鮮やかで美しく、すっかり目を奪われてしまいました。

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  タピスリーに三日月の紋章が描かれていることから
  「ル・ヴィスト 家」の当主になったアントワーヌ2世が
  結婚の記念として工房に発注したと考えられています。

貴婦人の華麗なドレスにある襞やシースルーの袖、宝飾品などの
繊細な表現の織物に、観ればみるほど深い感動を覚えます。
当時これだけの工芸品を製作する工房があり、タピスリーを手掛ける
芸術家や職人の高度な技術に思いを馳せました。


                ***

西暦1,500年頃の制作とされているタピスリーは、フランスの
中世に建てた「ブサック城」の壁に掛けてあったのを、19世紀
半ばに発見されました。

城主と知り合いだったジョルジュ・サンドがこの古城を舞台に小説
「ジャンヌ」を書き、作中で「貴婦人と一角獣」のタピスリーを
称賛したことで世の中に知れ渡るようになりました。

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ブサック城        ジョルジュ・サンド(1804~1876)


6面のタピスリーは、1面ごとに貴婦人と一角獣の仕草が描かれています。
背景は14、15世紀に大流行した千花模様(ミル・フルール)です。
中世の都市は自然に恵まれていたようです。
ナデシコ、スミレ、スズラン等40種類の植物。サギ、ハヤブサ、
キジ等の野鳥。キツネ、コヒツジ、ヤギ等の動物が描かれています。
中でも邸宅で飼われている猿や犬が目を引きます。ウサギの数が断トツに
多いのは、多産で繁栄のイメージがあるからでしょうか。
タピスリーの連作は<触覚><味覚><嗅覚><聴覚><視覚>
<我が唯一の望み>の6面構成で、人間が世界を知るための感覚を
表現したものです。
中世ヨーロッパの人達は五感について、一番低いとされる触覚から
聖書を読むための高い視覚まで、それぞれ順位をつけていました。

               ***

<触覚> 378×358cm 1面

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貴婦人が一角獣の角に触れ、触覚を表現しています。
額の中央に1本の角が生えた一角獣は伝説の動物で、古代ローマから
どう猛で足が速く清らかな乙女には従順でした。しかし関わった乙女
が純潔ではなかったと知ると八つ裂きにして殺してしまったそうです。
中世では女性の純潔が、愛と結婚の絶対条件だったのかもしれません。

               ***

<味覚> 377×466cm 2面

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貴婦人はオウムに砂糖菓子を与え、猿は口に果物を運び、味覚を
表現しています。

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 2面には、貴婦人の背後につるバラ(淡紅色)の
 生垣があって親しみを覚えます。

 ヨーロッパには木立性のバラがありましたが、
 つるバラがアジアから渡ったのはルネサンスでした。
 流行のつるバラを植えた庭園をタピスリーで見ること
 が出来ました。


               ***

<嗅覚> 368×322cm 3面

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貴婦人はナデシコの花冠を編み、後ろの猿はバラの香を嗅ぎ、嗅覚を
表現しています。
香りの代表としてバラを描いていますが、バラはいつの世も香りの
女王だったことが窺われます。

               ***

<聴覚> 369×290cm 4面

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侍女がフイゴで空気を送り、貴婦人がオルガンを演奏して聴覚を表現
しています。

               ***

<視覚> 312×330cm 5面

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右手の鏡に一角獣を映して視覚を表現しています。

               ***

<我が唯一の望み> 377×473cm 6面

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この6面には鮮やかな青いテントがあり唯一、文字が書かれていました。
男性から女性に向けた愛の言葉である「我が唯一の望み」
それ以外は何もいらないと云う意味だそうです。

これを観た時、5面まで身に着けていたネックレスを小箱に仕舞う
仕草にハッとしました。
咄嗟に浮かんだのは観音像と如来像でした。
観音像はネックレスやブレスレットの装飾品を身に付け、出家前の
釈迦の姿を表しています。
如来像は悟りを開いた釈迦で、装飾品は一切身に付けていません。
6面には、五感を超越したスピリチュアルな貴婦人を感じました。

5面までは解釈済みだそうですが、この6面の謎は完全には解かれ
ていないそうです。
多くの芸術家のインスピレーションを刺激した「貴婦人と一角獣」の
日本公開は、これが最初で最後になるかもしれません。

タピスリーを通し、華やかな美しい中世に遊んだひと時は夢のよう
でした。 惜しみながら会場を後にして「貴婦人と一角獣」を
モチーフにした 作品に触れてみたくなりました。


               ***



地下鉄大江戸線へ向かうまでの地下通路

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オブジェで遊ぶ子どもたち      動く歩道
待ち合わせの大人たち

やさしくね やさしくね やさしいことはつよいのよ まり子

2012.12.11.Tue
2012年12月11日

この庭の長老の蟇穴に入る     コウコ
          (ひき  冬眠に入りました)

青山通りから見える明治神宮外苑の銀杏並木は落葉となり、
歩道は一面、黄色の絨毯に覆われていました。
12月9日(日曜日)のことです。

その青山通りの「ITOCHU AOYAMA ART SQUARE」で
「ねむの木のこどもたちとまり子展」  (10/26 ~ 12/25)
~ねむの木学園創立45年を祝して~ が開催されています。

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ハンディキャップを持つ子どもたちの美術展です。

どの子も、感性あふれる個性的な絵で、
純度の高い美しい色彩に驚きました。
純粋に感じたことをそのまま表現できることの素晴らしさ。
人が最後に辿り着く究極のところを
彼らは最初から持ち合わせているかのようです。
奇跡のようであり、本物を観た思いでした。

まり子氏のガラス作品の抽象画やペンダントの色合いが美しく、
その透明感は氏そのものでした。

              ♪♪♪

一通り観終わったところで、なんと、ねむの木学園の
宮城まり子先生(車椅子)と生徒さん達が到着されました。

先生と、絵を描いた生徒さんがいらしたことで、
会場の雰囲気が一変しました。
しかもこれから、生徒さん達(男子5人、女子1人)の
ミニコンサートが始まるとのことでした。

6人はお揃いの上着です。
藍色を基調にしたパッチワークに赤が配色され、
若々しく素敵なデザインです。

               ♪
最初の歌は、
宮城まり子作詞作曲 ねむの木の詩 <テントウ虫>
澄み透ったコーラスが会場をつつみました。

コーラスの途中「ちょっと気になるの」とおっしゃり、
まり子先生が歌唱指導をなさいました。
それは学園のコーラスの授業を垣間見るようです。
何度か繰り返すうちに、歌詞とメロディーをなんとなく覚えて
しまい、心の中で一緒に口ずさんでいたのでした。

テントウ虫 テントウ虫 テントウ虫
ぼくの好きな テントウ虫

テントウ虫 テントウ虫 テントウ虫
ぼくの大事な テントウ虫
テントウ虫 テントウ虫 テントウ虫
ぼくの見つけた テントウ虫

ある日 ある朝 雨の日に
ぼくのテントウ虫 死んじゃった
ぼくの心も知らないで
ぼくの悲しみ知らないで
テントウ虫 テントウ虫 なぜ死んだ (つづく)

「約束」(宮城まり子著 東京新聞出版部)に次の文章があります。

 病気がひどくなった頃、淳之介さんが私に言いました。
 「まりちゃん、君のつくった歌の中でぼくはこの歌が
 一番好きだよ」うれしかったけど、死が近づいている・・・。
 歌詞の中の悲しさにゆきあたり、ドキッとしました。

               ♪
2曲目はモーツアルトのトルコ行進曲で、「鳥になった瞳」
まり子先生は「鳥の瞳になったらどこへでも飛んでゆけます」と。

ダバ.ダバ.ダ ダバ.ダバ.ダ・・・の出だしが楽しく、
<人は遠い昔 鳥かもしれないね>のフレーズでは
みな両手を翼にして羽ばたきました。

ふと、俳人の折笠美秋の俳句がよぎりました。
  透明な羽と心と上昇気流
  ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう

               ♪
3曲目は「きかせて ほしい」
学園に声の出ない子がいて、毎日稽古をしても
効果が出なかったそうです。
諦めかけていた頃に、波がくり返せくり返せと言っている
ように思えて、この歌を作ったのだそうです。
コーラスは全5曲でした。

               ♪
そして圧巻はマイケル・ジャクソンのCDに合わせての
ダンスで「ビリー・ジーン」と他1曲。
上着を脱ぎ黒一色になりました。肢体が不自由なことなど
忘れてしまったほど見事なパフォーマンスでした。

ダンスは最初、身体の訓練として授業に採り入れたそうです。
ひたすら努力した末の結果だったのでした。

              ♪♪♪

彼らの渾身のミニコンサートは約1時間、
何時の間にか大勢の人垣が出来ていました。

純粋な魂にふれて、目頭が熱くなりました。
涙、涙の方もいらっしゃいます。

この日、ここに居合わせて幸運でした。

              ♪♪♪


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吉行淳之介略歴 岡山市生まれ。作家エイスケ・あぐりの長男。
実妹和子は女優、理恵は詩人・作家。
1957年宮城まり子と知りあい、1960年同居。
「驟雨」で芥川賞受賞、「夕暮まで」で野間文芸賞受賞、
「暗室」で谷崎潤一郎賞受賞、「鞄の中身」で読売文学賞受賞。
1994年7月26日死去、享年70歳。



布に触れて

2012.11.29.Thu
2012年11月29日

一隅の襤褸を照らす冬日かな     コウコ
    (らんる)

浅草に出かけた折に<布文化>の美術館で知られている
「アミューズミュージアム」に立ち寄りました。
受付では「展示品を触れても撮っても構いません」と言われました。
なんと柔軟なミュージアムでしょう!

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  AMUSE MUSEUM  田中忠三郎
来館記念に頂いたポストカード

2階に黒澤明監督のオムニバス映画「夢」で使われた衣装等が
展示されていて、映画製作への情熱に胸を打たれました。
監督は農民の野良着を、民俗学者の田中忠三郎氏のコレクション
の中にある、本物の「ぼろ」で撮ることを望まれました。
「ぼろ」と呼ばれる農民の衣類は、江戸時代から昭和期の青森で
布を継ぎ当て、何代にもわたり使われてきたものです。
その「ぼろ」はすでに重要文化財に登録されていて使用出来ず、
氏はそれから奔走されて、監督に応えられたのでした。

提供された衣装と現場の写真が展示されていまいた。
野良着の継はぎの色彩が美しく、村人達のいきいきとした表情
が印象的でした。なかでも写真の笠智衆に会えて、
機会があったら是非、映画「夢」を観たいと思いました。

日本人の生活の知恵から生まれた布の文化ですが、「ぼろ」にも
「刺し子」にも思いがけない美があり、再発見させられました。

「もったいない」がこのミュージアムのコンセプトだそうです。


布といえば、Tさんからお姑さん手作りの巾着を見せられ、
「2つあるので好きな方を」と言われて頂戴いたしました。

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大切に使わせて頂いています。(22×16)
                  
                 
洋裁も手芸も苦手で、授業の家庭科以外に経験のない私ですが
20代に奮起して、市松人形の衣装を作りました。

市松人形は子供の頃から欲しかったのですが
親には言わず仕舞いでした。
社会人になってから裸の市松さんを浅草橋の「吉徳大光」で
買って、ようやく夢が叶いました。

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布切れを使ったパッチワークがそのまま着物の柄になり、
当時はマニュアルもなく、イメージで作りました。 (身長35センチ)

友人や肉親から、布切れや小物の協力を得て出来たのでした。
40数年が経ち、黒髪はいつしか今様になりました。
帯揚げは、亡き母が好きだった着物の切れ端で、
着用していた頃を憶い出します。

布の記憶はいろいろとありますが、
布をめぐる人と人とのつながりを
あらためて思い起こしたのでした。