情熱と努力

2015.03.01.Sun
2015年3月1日

東京ドームで「世界らん展 日本大賞2015」が2月22日まで
9日間にわたって開催されました。
オーキット・ロードの先にはシンボルのオブジェBirth(誕生)があり
受賞作品がぐるりと囲むように置かれています。

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Den・smillieac   デンドロビューム スミリエ
「Spirit of Zama」 スピリット オブ ザマ

オブジェのメインにある今年の日本大賞はデンドロビュームでした。
DenはDendrobium。種のsmillieacは小文字ではじまっているので
原種(野生種)でした。(ちなみに大文字なら交配種)
株の大きさと花の数がここまで咲き揃うことは珍しいのだそうです。


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18本の茎に咲き誇る1,722輪の花。



☆ 目を惹いた作品の数々

デンドロビューム
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「清姫」



ファレノプシス(コチョウラン)
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「アポロン」



カトレア
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「ファンタジア ナナ」


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エビネ
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「涼春の舞」



春蘭
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シンビジューム
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「ツバサ」




パフィオペディラム
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紐状の細長い花びら、食虫植物に似た不思議なラン。




リカステ
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バンダ
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珍しいオレンジ色のバンダ。




デンドロキラム テネルム
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稲穂のように咲いた小さな花。




エビデンドラム ストロベリーバレー
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「プリンセスクラウン」




☆ アート 各種工芸
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「春の円舞曲」



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「蘭舞」





☆ ミニチュアディスプレイ
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「思い出の童話」




☆ ディスプレイ
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最優秀賞 「蘭の谷」



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               ***


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特殊な技術で白をブルーに染めたコチョウラン



日本大賞のデンドロリュームの受賞者は30代の男性です。
アメリカ蘭協会会長の審査講評を見ると、情熱と努力を感じますと
ありました。会場で耳にしたのは、日本の関係者もこの数年は受章者の
意欲的な姿勢を感じていたとのことでした。
25周年に相応しい日本大賞は最も印象的でした。


                *


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毎年T子さんに招待券を頂いております。今年も有難うございました。


               ***


オーキットマーケットを覗くと、目に飛び込んできたのがルビーレッドの
カトレア鉢でした。その場で注文したところ一昨日、届きました。
(たがみオーキットさん)

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夢の島熱帯植物館に昨年の暮れに訪れた折、花が散ったミニ
コチョウランを頂きました。
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室内のビニール温室に入れ、花茎の3節目を切ると新しい
花茎が伸び、いま二番花が咲き始めたところです。

最後までご覧下さり有難うございました。
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「六義園」紅葉と大名庭園のライトアップ

2013.12.10.Tue
2013年12月10日

門をくぐると、そこはライトアップされた絵本の世界。
紅葉の時季、精霊たちが夜ごと祭りに興じていました。

<紅葉と大名庭園のライトアップ>の最終日(12/8)、わんさわんさ
と1万5千人が「六義園」(東京都文京区)に押し寄せました。

「今宵はライトアップしたファンタジーの世界に思い切り遊んで下さい。
私は秋をつかさどる女神の竜田姫です」
姿こそ見せませんが耳元で囁かれました。

「まずは、ここをご覧なってください」
園内は日没直後の森のたたずまいで、最初は竹林のライトアップでした。
いよいよ異次元の世界の幕開けです。

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竹取りの翁がひょっこりと現れそうです。

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手前の煌々と輝く竹は、かぐや姫を宿しているかのようです。

ライトアップされた大泉水の紅葉の島々は、水面に美しいシンメトリー
を描いていました。
「立ち止まらないでください!」美術館で耳にする連呼が聞こえて
きました。
竜田姫曰く「今宵は職員も、機械仕掛けのスピーカー男にされて
しまったようです」
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「立ち止まるなと言われてもねぇ~」
「流し撮りってこと?」kさんが笑いながらカメラを振ってみせました。
下手なカメラも数を撮れば当たるかもと、連続でシャカシャカシャカと
切りまくり、初心者でもなんとか数枚写すことが出来ました。

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おどろおどろしい枝ぶりの木が、にゅっ!と現れました。
今にも腕が伸びてきそうです。
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「木霊が宿っています」竜田姫がそう言うと、にわかに森の霊気を
感じました。

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紅葉と石灯篭

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黄金色の木々が漆黒の虚空を彩ります。
暗黒の宇宙の彼方にある星雲のようにも見えます。

                 ***

しばらく行くと前方に突然、青白いイルミネーションが出現しました。
息を吞むほどの美しい幻想の世界です。竜田姫の説明によると、
ここはむかし池があったところで、青い光を池に見立てて懐古して
いるとのことでした。
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超自然の精霊たちは目には見えませんが、水浴びや沐浴をしています。
清流にはスモークが這い、BGMは流れゆく水音を奏でていました。

                ***

絵本のページをめくるわくわく感を味わいながら、ファンタジーに
溢れる森を一周しました。
奇しくも、竜田姫や森の精霊たちの気配を感じることが出来て
夢のようでした。

「春はしだれ桜のライトアップをご用意いたします。春の女神の
佐保姫がご案内しますので是非お越し下さい」 竜田姫

               ***

「六義園」の前に「小石川後楽園」に立ち寄りました。


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身の内の透けゆく紅葉明かりかな     コウコ



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晩年にして穏やかな日々石蕗の花     コウコ 

 
 
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                    六義園
 
 翼広げて落日の冬紅葉     コウコ

「水彩都市・江東区」

2013.08.31.Sat
2013年8月31日

東京の東部にある江東区は、東に荒川、西に隅田川、南に東京湾
があり、区内には運河が縦横に流れています。

この夏の思い出は、水辺で催された灯篭流しと花火大会でした。

小名木川灯篭流し(川施餓鬼) 7月8日

徳川家康が江戸に入城したのは1590年。
小名木川(おなぎがわ)は、家康が江戸と千葉県行徳を結ぶ物資
の水路を小名木川四郎兵衛に開かせたことに由来します。
開削した運河は江東区の東西を貫き、川の長さは隅田川 から
旧中川まで4,640mで、米や塩が運ばれました。

約300年前には、小名木川と隅田川との合流地点に松尾芭蕉
(1644-1694)が居を構えた深川芭蕉庵がありました。

昭和の俳人、石田波郷(1913-1969)は昭和21年から
約12年間江東区住んでいました。

百方の焼けて年逝く小名木川     波郷
雪敷ける町より高し小名木川     〃



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この由緒ある小名木川の高橋(たかばし)では、関東大震災 と
東京大空襲の際に水に逃れて亡くなった方々を慰霊する川施餓鬼
の法要が執り行われてきました。



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深川仏教会の宗派を超えた合同法要では、東日本大震災で
亡くなった方々のご供養も行われています。



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  区民にとっても先祖供養の
  大切な行事です。

  ご主人の新盆に、お孫さん 
  と一緒に来た家族を見掛
  けました。

  仲の良い姉と弟は灯篭流し
  が始まるまで、シャボン玉
  で遊んでいました。



 
 しゃぼん玉生涯夢を見つづけて     コウコ




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読経のなか約千個の灯篭を僧侶が水面に浮かべると、高橋の下から
ゆっくりと隅田川へと流れてゆきました。




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まるで、こちらの岸から彼岸へゆくような幻想的な景色でした。


                ***


江東花火大会         8月1日

今年はお隣の葛西納涼花火大会(7/23)と隅田川花火大会(7/27)が
雨で中止になりました。
江東花火大会でも、開催合図の雷が鳴り響いたものの空模様が気になり、
大会本部には問い合わせの電話が鳴り通しだったそうです。
開催直前に小雨がぱらつきましたが、、山﨑孝明区長の開会挨拶では、
「雨は絶対降りません」と断言しました。
言霊が天に通じたかのようです。


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オープニングの花火の打ち上げは予定より早く行われ、最初の一発が
夜空に咲くと、雑念はいっぺんに吹き飛んでゆきました。

福知山花火大会では、屋台のガスボンベが爆発して火災事故
がおこり、多くの負傷者と死亡者には心が痛みました。(8/15)
あらためて江東区の花火大会(8/1)を振り返ると、大会実行委員長
の中嶋利雄会長と役員の方々、砂町連合会の大勢の方々による役割
分担のもとに、万全を期して行われたのでした。
消防署、警察署の体制も完璧でした。


花火の演出は素敵でしたが、一眼レフカメラの超初心者のために
思うように撮れませんでした。招待席からのビューポイントなのに
残念でした。


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  1  「パラダイス」

    夜空に咲き乱れた
    色艶やかな花火






 
 

2  「希望を胸に」  東京オリンピック招致の花火


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3   「ト・キ・メ・いて」 夜空の星にトキメキを


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 4  「未来へのエール」
      希望のシャワー
      クリムトの黄金色です。












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好きなところに陣取って花火を楽しむ人たち。



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屋台は河川敷から離れた住宅街に数件見掛けました。
コンビニや飲食店は急きょ軒先に出て商いをはじめ、
家族総出で手伝っていました。



                ***


江東区では東日本大震災の避難者を最も多く受け入れ、花火大会に
ご招待し、小名木川灯篭流しでは亡くなられた方々をご供養しています。
それは、江東区が関東大震災(1927年)東京大空襲(1945年)
によって壊滅し、カスリーン台風(1947年)ではゼロメートル地帯
ゆえに多数の被災者が発生したことに重なります。

はこべらや焦土の色の雀ども     石田波郷

江東区の戦災震災の復興は苦難の道のりとはいえ見事でした。
現在は「みんなでつくる伝統、未来水彩都市・江東」
をキャッチフレーズにしています。
これからも「水辺のまち」を見守ってゆきたいと思います。


第67回 「靖国神社 みたままつり」 (7/13~7/16)

2013.07.22.Mon
2013年7月22日

靖国神社の祭事に盛大な「みたままつり」があることを知ったのは
実は初めてでした。
各地の年中行事の情報はテレビの映像で知ることが多いのですが、
何故か「みたままつり」の放映を目にしたことはありませんでした。
さいわい今回は友人からの情報があり参拝することが出来ました。

光りの祭典

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「みあかし」の「光の祭典」とあって、双壁をなす大小3万の献灯と
懸けぼんぼりの光が境内を包んでいました。

第二次世界大戦で命を捧げた343万6千余柱の英霊を慰める祭事として
昭和22年(1947年)に始まり、毎年30万人の参拝があるそうです。

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神門に掛けられた七夕飾りの下で振り向くと、巨大なサーチライトが地上と
天空を結び、参拝者は歓声をあげながら幻想的な光りの交叉に携帯を掲げ
ていました。

                ***

盆踊り

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櫓では地元千代田区民謡連盟の盆踊りがあり、若い人も見よう見まねで
踊りに参加していました。都内で一番早い盆踊りだそうです。
旧盆は満月ですが、新暦のお盆なので上弦の月がかかっていました。

                ***

露店
境内には約200店が出ているそうです。

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飴細工といえば昭和の頃は縁日の定番でしたが、近年は見掛けなく
なりました。それだけに日本の優れた伝統芸の継承を願って止みません。
十二支、動物、昆虫、野鳥の中から注文を受け、ハサミで切りながら
造形してゆく熟練の腕前には感嘆しました。
「貴婦人と一角獣展」のユニコーン(一角獣)もメニューにあり、
流行を採り入れた飴細工には大人も子供も身を乗り出して興味津々です。

あの頃の子どもが今も夜店の灯     コウコ


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旬の鮎の塩焼き、奥三河で食べた五平餅、ほくほくのじゃがバター
懐かしい匂いが食欲をあおります。
カメラを向けるとVサインで応えてくれました。


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友だち同士やカップルが束の間の縁日を楽しんでいました。
昭和の記憶を呼び戻す懐かしい光景です。

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「見世物小屋」と「おばけやしき」

子どもの頃の縁日の想い出は、非日常だけに鮮明に覚えています。
見世物小屋とお化け屋敷は怖くて避けていました。
看板を見ながら通ると自然に想像力が湧き、それだけで充分でした。

見世物小屋はかつて300軒もあったそうです。
「お代は見てからで結構」と、お馴染みの懐かしい口上で始まりました。
全国で最後に残るたった1軒の小屋であり、祭りの最終日の最後のショー
が今から始まるとあっては、自ずと足が止まります。
この流暢な呼び込みで客がつぎつぎに吸い込まれ、私もその1人でした。

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中でも度肝を抜かれた場面は「火を吹く女」と「蛇女」でした。 



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境内の消灯数分前に、辛うじてお化け屋敷を撮ることができました。

                ***

懸けぼんぼり

各界の名士の揮毫による懸けぼんぼりの奉納

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 小野田寛郎  
 戦後29年にしてフィイリッピン
 ルバング島から帰還



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井沢満 (脚本家)      浅香光代 (女優)


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鈴木基水 (書家)      岸田哲弥 (江戸風鈴絵師) 
 

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石川巳津子 (湯沢七夕絵灯篭絵師)


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三浦吞龍 (弘前ねぶた絵師・津軽錦絵師)


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つのだ☆ひろ (音楽家) ジャズドラムの演奏と歌を奉納

                ***

今月の遺書
靖国神社の拝殿の社頭には、英霊の遺書をかかげた掲示板があります。

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皇后の御歌  (平成十七年)

いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏思へばかなし

「おみなの足裏(あうら)思へばかなし」の万感の表現には、歌人として
の美智子皇后の繊細なお人柄が想われて心を打たれました。



遺書

直なる道を歩め 中元 清 命 (昭和十九年四月二十九日)

私の父も中元氏と同じ衛生兵でした。
太平洋戦争末期に再召集されましたが、軍需工場に勤務していたので
即日帰還となりました。
ご遺書を拝読しますと、年齢も父と同じくらいですのでご遺族のこと
を想うと涙が止まりません。 
ご遺族のその後のご苦労と人生を想うと、戦争は絶対にしてはならない
のです。

明治天皇が命名された「靖国」の社号は「国を靖(安)んずる」意味で
「靖国神社」には祖国を平安にする、平和な国家を建設するという
願いが込められているとのことです。

「みたままつり」は慰霊祭であると同時に、戦争の悲惨さを語り継ぎ
平和への願いを込めた大切な祭事なのでした。


フラメンコの魂

2012.12.21.Fri
2012年12月21日 冬至

一病といつしか馴染み冬至粥     コウコ


先日、ねむの木学園の生徒さん達(男子5名、女子1名)が、
マイケルジャクソンのCDに合わせて踊った
パフォーマンスは感動的でした。

忘れられないもう一つの記憶に、舞踊家小松原庸子氏の恩師
エンリケ・エル・コホ氏のフラメンコがあります。

仕事上回ってきたチケツトでしたが、この機会がなかったら、
フラメンコと出会うことはなかったと思います。
1980年前後に「小松原庸子スペイン舞踊団」の
公演を続けて3回観ました。

1回目は日比谷野外音楽堂でのフェスティバルで
「真夏の夜のフラメンコ」。
著名な闘牛士を迎えて、花火や照明を駆使した
大胆で華やかな舞台でした。
観客席と一体化した臨場感には圧倒されました。

2回目は流浪の民ジプシーの、差別と迫害の受難の歴史を
舞台化した画期的な作品でした。舞踊団の総力を結集した
芸術祭参加作品だったと思います。

3回目の公演は、生涯忘れられないエンリケ・エル・コホ氏の
フラメンコです。

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舞台装置も以前のように凝らず、居酒屋を設えただけでした。
出演者も限られ、全体的にシンプルでしたが、
特別出演のエンリケ氏の存在感が絶大でした。
小松原庸子氏は最後のご挨拶で、
師匠のフラメンコを観てこの道に入ったと言われましたが、
観客にとっても衝撃的でした。

エンリコ氏は黒のスラックスと黒のセーターで登場しました。
御年70代でしょうか、背は低く小太りで、物凄いオーラです。
フラメンコ独特の激しい振りはなく、動かずとも動きを感じ
させる踊りで、想像したフラメンコとは対極的でした。
手と指の繊細な動きだけで、全身が躍動しているかのようです。
内面から滲み出てくる魂の感情表現や、
強い意志表現には感嘆しました。
なにもかも削ぎ落とし、己の心ひとつで表現した究極の
フラメンコに思えたのでした。

前半の1幕が終わってから気付いたのですが、
お歳のせいか、足が不自由なご様子でした。

第2幕は意外にも、杖をつき平服の背広姿で登場されました。
何事かと思いましたら、なんとステッキでバイオリン弾きとなり、
鉄砲撃ちとなり、馬に跨って騎手となって、
次々と繰り広げられる即興には、そのつど拍手喝采が起きました。
共演の小松原氏をステッキで叩く仕草は
師匠の愛の鞭で、会場を笑わせました。

ギタリストは男女2人で、踊り手のステップから目を離さず、
メリハリのあるリズムとメロディーを爪弾いて見事でした。

氏のフラメンコの記憶は、年を経るたびに鮮やかに蘇ります。

エンリケ・エル・コホ氏のフラメンコと
ねむの木学園の生徒さん達のダンスには、
それでもなお「人生は楽しい」と言う
大いなるメッセージが込められていたのでした。